『神との対話』シリーズは第3巻で、個人的・地球的な探求を超え、ついに宇宙的な真実へと至ります。
魂の永遠性、死の意味、高度に進化した存在(HEB)など壮大なテーマが明かされ、神との関係性も「友情」から究極の「一体感」へと深まります。
これは分離感を癒し、宇宙との繋がりを思い出す魂の旅路です。
この記事では、第3巻のメッセージをアシュタール、エイブラハム、バシャール等の情報と比較考察します。
「ワンネス」「思考は現実化する」「波動の法則」といった共通の真理を探りながら、『神との対話』への理解を多角的に深めていきます。
この考察が、あなたの内なる神性を再確認し、より喜びをもって生きるヒントとなれば幸いです。


魂の探求:私たちは何者なのか?

第3巻で神は、私たちが自分自身について抱いてきた最も基本的な思い込みの一つを覆します。
それは「魂」の概念です。
身体に宿る魂から、身体を包む魂へ
私たちは通常、「魂は肉体という乗り物(あるいは寺院)に宿っている」と考えがちです。
しかし神は、それは逆だと語ります。
魂が身体に宿るのではなく、身体が魂の中に存在しているというのです。
魂とは、個々の身体を内側から満たすだけでなく、その周囲を包み込み、全体を維持しているエネルギーフィールド、いわば「オーラ」のようなものだと説明されます。
これは、神(大いなる魂)が宇宙全体を包み込んでいるのと同じ構造です。
つまり、身体は魂の「家」ではなく、魂が身体の「家」であり、それを包むエネルギーなのです。
この視点の転換は、「自分とは何か」という認識に大きな変化をもたらします。
私たちは肉体という境界線に限定された存在ではなく、それを超えた、より広大なエネルギー的存在である、という理解です。
「私たちはひとつ」という物理的・霊的真実
身体が魂に「包まれている」のなら、個々の魂の境界線はどこにあるのでしょうか?
神の答えは「境界線はない」とのこと。
リビングルームの空気とダイニングルームの空気が別々のものでなく、同じ家の中の連続した空気であるように、私たちの魂もまた、分離されることなく繋がっており、本質的には「ひとつの魂」であると神は語ります。
この「ひとつの魂」とは、宇宙の根源的なエネルギー、すなわち神そのものです。
しかし、ここで神聖なる二分法が示されます。「魂はひとつ」でありながら、同時に「たくさんの魂」が存在する、と。
これは、根源のエネルギー(神)が、多様な経験をするために、異なる振動数や密度を持つエネルギーの「かたまり」として自らを「個別化」した結果です。
私たち一人ひとりは、その個別化された神の一部なのです。
「わたしたちはすべて一体だ」という言葉は、単なる精神的なスローガンではなく、物理的・霊的な現実を表しているのです。
魂のパートナーとは?
この「一体性」と「個別化」の概念は、「魂のパートナー」という考え方にも新たな光を当てます。
一般的に、魂のパートナーは「運命の相手」「自分の半身」といったロマンティックなイメージで語られがちです。
しかし神は、一つの個別化された魂(エネルギーのかたまり)は、私たちが考えるよりもはるかに大きく、一つの魂が同時に複数の肉体(=個々の人間)を包み込んでいると説明します。
つまり、同じ魂のエネルギーフィールドの中に存在する者同士が、本来の意味での「魂のパートナー」なのです。
強い親近感を覚える相手や、「前世で会った気がする」と感じる相手は、まさにこの同じ魂のエネルギーを共有している存在なのかもしれません。
それは過去生だけでなく、未来生で関わる存在である可能性も示唆されています。
複数の人に同時に深い繋がりを感じることがあるのも、この視点から理解できるかもしれません。
【比較考察】他の高次元存在から見た「魂」と「根源」
『神との対話』で語られる「魂」や「一体性」の概念は、他の高次元存在からのメッセージとも深く共鳴します。
- アシュタール:
宇宙の根源を「絶対無限の存在」と呼び、それはただ「在る」という意識で、自らを無数に分け「個性のエネルギー」として多様な経験をしていると語ります。
すべての存在はこの根源から分かれたものであり、本質は「ワンネス」であるという点は、『神との対話』の「私たちはひとつ」という概念と一致します。 - バシャール:
宇宙のすべてを包括する意識を「オール・ザット・イズ」と呼び、魂はその反映の一つのレベルであると説明します。
さらに魂は、非物質次元の「ハイアー・マインド」と物質次元の「フィジカル・マインド」という二つの反映を創り出し、人間は肉体に魂が入るのではなく、「魂の中に両マインドが入っている」構造だと語ります。
これも、魂が身体を包むという『神との対話』の視点と通じるものがあります。 - エイブラハム:
すべての根源を「ソース(源)エネルギー」と呼び、人間はその「延長部分」であり、思考の先端にいる存在だと述べます。ソースエネルギーは愛と喜びそのものであり、常に私たちに向かって流れているという考え方は、神の無条件の愛や一体性の概念と共通しています。
このように、表現や詳細な構造は異なれど、宇宙の根源的な一つの意識(神/ソース/オール・ザット・イズ/絶対無限の存在)があり、私たちはその一部として存在し、本質的には繋がっている(一体/ワンネス)という認識は、多くのソースに共通する核心的なメッセージと言えます。
生と死のサイクル:輪廻転生と宇宙の法則

魂の本質を理解すると、次に私たちの心を捉えるのは「生と死」、そして「輪廻転生」というテーマです。
第3巻では、これらの概念もまた、従来の私たちの理解を大きく超える視点から語られます。
死は終わりではない:意識の移行という真実
神は断言します。
「死というものはない」と。
私たちが「死」と呼んでいる現象は、生命の終わりではなく、単なる形態の変化、意識の移行に過ぎないのです。
生命エネルギーは不滅であり、始まりも終わりもなく、ただ存在し、形を変え続けるだけです。
では、肉体が機能を停止する瞬間、何が起こるのでしょうか?
魂(意識)は肉体という制限から解放され、本来の軽やかさ、自由さを取り戻します。
思考は現実化する力を持ち、考えた瞬間に望む場所に存在できるようになります。
時間と空間の制約を超え、同時に複数の場所に存在し、様々な経験を観察することも可能です。
多くの臨死体験者が語る体外離脱や光の体験は、この移行プロセスの一端を示唆しているのかもしれません。
死後の世界がどのようなものになるかは、その人の死ぬ瞬間の意識、そして生前に抱いていた信念に大きく左右されると神は言います。
天国を信じる者は天国を、地獄を恐れる者は(一時的にせよ)地獄のような体験を自ら創造します。
なぜなら、死後も私たちは現実を創造し続ける存在だからです。
ただし、思考と現実化の間にタイムラグがないため、望まない体験も、意識を変えればすぐに変化させることが可能です。
永遠の罰や苦しみというものは、神が与えるものではなく、自らがその信念を手放さない限りにおいて、自らが創り出す幻想なのです。
輪廻転生:罰ではなく進化のダンス
死が存在しないのなら、輪廻転生とは何なのでしょうか?
多くの文化や宗教で語られてきたこの概念も、神は新たな視点から解説します。
それは、過去生の「カルマ(業)」を解消するための罰や義務のシステムではないと神は言っています。
神は、輪廻転生を「宇宙の車輪」というメタファーで表現します。
魂は、根源である「ひとつなるもの」(神、ソース)から分離し、多様な経験を通じて自己を認識し、再び「ひとつなるもの」へと統合していく、という永遠のサイクルを繰り返すと述べています。
このサイクルは、罰や浄化のためではなく、魂が自らの神聖な側面を様々な形で経験し、進化していくための喜びのプロセスなのです。
一度きりの人生では、魂が望むすべての経験をすることはできません。
だからこそ、魂は自ら望んで、異なる時代、異なる環境、異なる肉体を選び、物質世界での経験を繰り返します。
それは、まるで壮大な演劇の役者が様々な役を演じ分けるように、あるいは旅人が様々な土地を訪れるように、魂の成長と拡大のための選択なのです。
重要なのは、このサイクルは苦しみではなく、喜びと、さらに大きな喜びへと向かう進化のダンスであるということです。
【比較考察】バシャール、アシュタールから見た死生観
『神との対話』が示す死生観や輪廻転生の概念もまた、他の高次元存在と響き合います。
- バシャールは、死を「物質次元の夢から覚めること」と表現し、死後も意識や記憶は継続すると明言します。死後の「おさらい」では、自分の人生を他者の視点からも追体験し、今後の選択のための学びを得るといいます。また、死後の体験は個人の信念に影響されるという点も『神との対話』と共通しています。
- アシュタールも、宇宙と生命は「循環」しており、個性のエネルギー(魂)は絶対無限の存在から分離・経験・再融合のサイクルを繰り返すと述べています。これは「宇宙の車輪」の概念と非常に近いと言えるでしょう。
これらのソースに共通するのは、死は終わりではなく、意識は継続し、生前の信念や意識状態が死後の体験に影響を与えるという認識です。
また、輪廻転生(あるいはそれに類するサイクル)は、罰やカルマ解消ではなく、魂の成長や経験のための自然なプロセスであるという視点も共通しています。
私たちは、生と死を繰り返しながら、より大きな自己へと進化していく永遠の存在なのです。
現実を創造する力:思考、感情、そして自由意志
魂の本質と宇宙のサイクルを理解した上で、次に焦点となるのは、私たちがこの物質世界でどのように現実を体験し、創造しているのか、そのメカニズムです。
『神との対話』第4巻は、私たちの思考、感情、そして自由意志が持つ驚くべき力について、深遠な洞察を与えてくれます。
思考はエネルギー、現実は思考の反映
神は繰り返し語ります、「思考はエネルギーである」と。
私たちが何かを考えると、それは単なる頭の中の出来事ではなく、特定の振動数を持つエネルギーとして宇宙に放たれます。そして、そのエネルギーが現実を形作るのです。
このプロセスは、まるで種蒔きに似ています。
私たちの思考が「種」であり、宇宙が「畑」です。
ポジティブな思考の種を蒔けば、喜びや豊かさという実りを得るでしょう。
逆に、恐れや不足といったネガティブな思考の種を蒔き続ければ、望まない現実という雑草が生い茂ってしまいます。
神によれば、私たちの想像力はエネルギーを解釈するだけでなく、エネルギーを「創造」する力も持っています。
強く、長く、あるいは多くの人が抱く思考(想像)は、やがて物質的な形をとり、私たちの「現実」として現れるのです。
重要なのは、私たちが自分の思考を選ぶことで、体験する現実を能動的に創造しているという事実です。
感情は羅針盤:ソース(神)との繋がりを示す

では、どのような思考を選べばよいのでしょうか?
その指針となるのが「感情」です。
『神との対話』では、感情は単なる気分の浮き沈みではなく、私たちの魂が神(ソース・エネルギー)とどれだけ調和しているかを示す、内なるナビゲーションシステムのようなものだと説明されます。
喜び、愛、感謝、ワクワクといったポジティブな感情を感じているとき、私たちは本来の自分、つまり神聖なソースと波長が合っており、望む現実の流れに乗っている状態です。
これは、ナビが「順調です」と知らせているようなものです。
一方、恐れ、怒り、悲しみ、無力感といったネガティブな感情を感じているときは、ソースとの間にズレが生じ、「抵抗」している状態です。
これはナビが「ルートを外れました」と警告しているサイン。
このサインに気づき、より気分の良くなる思考へと意識的に舵を切ることで、私たちは再びソースとの繋がりを取り戻し、望む方向へと進むことができるのです。
「重要なものは何もない」:意味づけの力と自由意志
さらに神は、「重要なもの(物体)は何もない」という、一見ショッキングな真実を提示します。
これは、私たちの周りで起こる出来事や存在する物事それ自体には、本質的に固定された意味はない、ということです。
人生を大きなキャンバスに例えるなら、様々な出来事は、そこに置かれた色とりどりの絵の具のようなものです。
その絵の具をどう使い、どんな意味を持つ絵を描き上げるかは、すべて私たち自身に委ねられています。
ある出来事を「失敗」と定義することも、「学びの機会」と定義することも、私たちの自由なのです。
どんな状況にあっても、その経験にどのような意味を与えるかを選択する力、それが私たちの持つ根源的な自由意志です。
この「意味づけの力」を理解し、意識的に使うことで、私たちはどんな出来事の中にも「完璧性」を見出し、自らを望む現実へと導くことができるようになります。
【比較考察】エイブラハム、バシャール、アシュタールの現実創造論
『神との対話』が示す現実創造のメカニズムは、他の高次元存在からのメッセージとも驚くほど一致しています。
- エイブラハム:
「引き寄せの法則」を宇宙の基本法則とし、「感情の誘導システム」に従って「いい気分」でいることで望む現実を「許可する」ことの重要性を説きます。
思考や感情の「波動」が現実を引き寄せる作用点となるという考え方は、『神との対話』の「思考はエネルギー」という概念と深く結びついています。 - バシャール:
「信念(観念)が現実を創る」と強調し、最も「ワクワク」することを行動に移すことが、自分本来の波動と調和し、望む現実を引き寄せる鍵だと語ります。
出来事に「ポジティブな定義づけ」をすることも重視しており、これは『神との対話』の「意味づけの力」と共通します。 - アシュタール:
「思考エネルギー」が物質世界を形成する力を持つと述べ、長年の「思考の癖」が現実を創る大きな要因であると指摘します。
これらのソースは、思考・信念・波動といった内的な状態が外的な現実を創造するという点で共通認識を持っています。
ただし、そのプロセスにおいて、エイブラハムは「抵抗を手放し許可すること」、バシャールは「ワクワクに従うこと」といった、それぞれ独自のアプローチや強調点を示しており、私たちに多様な実践方法を提供してくれています。
高度に進化した存在(HEB)に学ぶ未来の社会

『神との対話』第3巻の後半では、私たちの想像を超える「高度に進化した存在(Highly Evolved Beings, HEB)」たちの社会や文化について、驚くべき詳細が語られます。
彼らの生き方は、私たちが目指すべき未来の可能性、そして現在の地球社会が抱える課題を浮き彫りにします。
HEBの基本原則:「一体性」と「充分にある」
HEBたちの社会を貫く最も基本的な原則は、「私たちはすべて一体である」という揺るぎない認識です。
彼らは、自分と他者、そして環境との間に分離はないことを完全に理解しています。
この一体性の認識が、彼らのあらゆる行動、社会システム、倫理観の基盤となっています。
そしてもう一つの重要な原則が、「充分にある」という意識です。
彼らの世界には、「不足」や「欠乏」という概念が存在しません。
宇宙の豊かさは無限であり、すべてに行き渡るだけのリソースが常にあることを知っているのです。
この二つの原則が、彼らの社会の調和と平和を実現しています。
所有から管理へ:分かち合いの文化
「一体性」と「充分にある」という認識から、HEB社会には私たちが考えるような「所有」の概念がありません。
土地や資源は誰かのものではなく、コミュニティ全体のもの、あるいは宇宙からの預かりものと考えられています。
人々は「所有者」ではなく、それらを大切に世話する「管理者」としての役割を担います。
もし何かが必要な人がいれば、それが希少なものであっても、HEBたちはためらうことなく分かち合います。
見返りを求めることもありません。
なぜなら、他者に与えることは自分自身に与えることであり、それが全体の豊かさに繋がることを知っているからです。
それはまるで、図書館の本を皆で利用し、大切に扱うような感覚に近いかもしれません。
競争、恥、罪悪感のない世界
HEB社会には、競争という概念もありません。
誰かが「勝ち」、誰かが「負ける」という考え方は、「一体性」の原則に反するからです。
彼らは、誰かの損失は全体の損失であり、全体の成功が個人の成功であると考えます。
達成感は、他者を打ち負かすことではなく、コミュニティ全体への貢献や、自己の最高の表現を通して得られます。
また、彼らの文化には「恥」や「罪悪感」といった感情も存在しません。
これらの感情は、本来自然なものではなく、外部の価値観(社会規範や宗教的教義など)によって後天的に植え付けられるものだと理解しているからです。
過ちを犯したとしても、それは単に「役に立たない」行動であり、罰せられるのではなく、認識し、誠実に責任を取り、修正する機会が与えられます。
失敗は非難されるものではなく、学びと成長のためのプロセスの一部として捉えられているのです。
真実のコミュニケーション:テレパシーと感情
HEBたちのコミュニケーションは、言葉に頼るものではありません。
彼らは主に、感情や思考そのもの(テレパシー)を通じて、直接的に互いの真実を伝え合います。
感情は魂の言語であり、それを隠したり偽ったりすることは、自らを欺き、全体の調和を乱す行為だと考えられています。
彼らの社会には「嘘」や「秘密」という概念が存在しません。
コミュニケーションの目的は、常にお互いの真実を知り、理解を深めることにあるからです。
言葉への依存度が低いのは、彼らが深いレベルでの思いやりと共感で結ばれていることの証でもあります。
神が語るように、「思いやりはコミュニケーションを生む」のです。
争いのない理由:自己と他者の同一性
HEB社会に戦争や個人的な争いが存在しない理由は、彼らが「一体性」を深く理解しているからです。
他者を傷つけることは、自分自身を傷つけることと同じであると知っています。
もし外部から攻撃されるような状況があったとしても(それは通常、進化レベルの低い存在からのものですが)、彼らは恐怖や怒りで反撃するのではなく、相手に身体を与えることさえ厭いません。
なぜなら、自分たちの本質は肉体ではなく永遠の意識であり、失うものは何もないことを知っているからです。
攻撃者は、自分自身の「傷ついた部分」の現れであり、癒しと理解の対象と見なされるのです。
【比較考察】他のソースが描く未来社会や宇宙文明
HEBたちの社会像は、他のソースが示唆する理想的な文明や宇宙のあり方とも重なります。
- バシャールが語る故郷エササニ文明は、個々人が「ワクワク」に従って生き、社会全体が調和している集合意識体であり、テレパシーによるコミュニケーションや高度なテクノロジー(宇宙船がハイアーマインドの一部であるなど)が特徴です。
- アシュタールは、かつて地球に存在したとされる「ムー文明」を、愛と調和に基づいた平和な社会として描写し、現代社会が爬虫類族(レプティリアン)由来の支配構造(競争、恐怖、物質主義など)から脱却し、本来の自由を取り戻す必要性を説いています。
これらの描写は、競争や所有、分離意識を超えた、より調和的で精神性の高い文明の可能性を示唆しており、『神との対話』のHEB社会像と共通するビジョンを提示しています。
愛と自由の探求:人間関係の新たな可能性
HEBたちの社会の根幹にある「一体性」の認識は、私たちの最も身近なテーマである「愛」や「人間関係」についても、革命的な視点をもたらします。
愛の本質:制限も境界もないエネルギー

『神との対話』において、神は愛の本質をシンプルに定義します。それは、「無制限、永遠、そして自由」である、と。
愛とは、特定の対象に向けられる限定的な感情ではなく、宇宙の隅々まで満ちている根源的なエネルギーそのものです。
そして、神、生命、愛、無制限、永遠、自由はすべて同義語であり、私たちの本質そのものであると語られます。
私たちが心の奥底で求めているのは、この制限のない、永遠で、自由な愛の体験なのです。
結婚観の転換:義務から自由な選択へ
この愛の本質に照らし合わせると、現代社会における「結婚」という制度は、しばしば愛の自由な表現を妨げるものになり得ると神は指摘します。
多くの結婚が、愛の喜びの表現としてではなく、「安定」や「保証」を求める不安に基づいているからです。
永遠の愛を誓うことは美しいことですが、それが相手を束縛する「義務」や、他の誰かを愛さないという「制限」になってしまうとき、愛の本来の性質である自由が失われてしまいます。
神は、結婚を否定するのではなく、それを義務や保証の契約から、お互いの成長と魂の統合をサポートし合うための「自由な選択の機会」へと捉え直すことを提案します。
それは、堅牢な城壁で愛を囲い込むのではなく、共に美しい花を咲かせ、実を結ぶことができる、手入れの行き届いた庭園を育むようなイメージです。
最も神聖な約束は、相手に対してではなく、「ほんとうの自分自身に忠実であること」なのです。
約束と誠実さ:「自分自身への忠実」が鍵
未来の感情や状況を予測できない限り、絶対的な「約束」を守ることは困難です。
そして、他者との約束を守るために、変化し続ける「ほんとうの自分」の気持ちや真実を裏切ることは、究極的には自分自身への、そして愛への裏切りになりかねません。
だからといって、無責任に約束を破ることを推奨しているのではありません。
重要なのは、常に変化し成長する自己に対して誠実であること。
そして、相手にもその自由を認め、変化を受け入れることです。
相手が約束を果たせない(あるいは果たしたくない)と感じているとき、それを強制することは愛ではなく、双方にとって苦しみを生むだけだと神は語ります。
文化的神話からの解放:愛に関する誤解
私たちの愛や人間関係に関する行動は、「文化的な神話」に深く影響されています。
例えば、「愛は受けるよりも与えるものだ」という考え方は、自己犠牲を美化し、自分自身を愛し大切にすることを忘れさせてしまう可能性があります。
しかし、「私たちはひとつ」という真実から見れば、他者に与えることは、同時に自分自身に与えることです。
愛は一方通行ではなく、循環するエネルギーなのです。
また、「特定の誰かだけを特別に愛するべきだ」という考え方も、愛の無制限な性質とは矛盾します。
愛は、相手ごとにユニークな形で表現されるものであり、その表現方法に優劣や制限はありません。
これらの文化的神話から自由になり、愛の本来の性質(無制限、永遠、自由)を信頼することで、私たちはより豊かで喜びにあふれた人間関係を築くことができるようになります。
【比較考察】他のソースにおける愛と人間関係
愛と自由、そして人間関係に関する『神との対話』の視点は、他のソースとも共鳴する部分が多く見られます。
- エイブラハムは、人間関係は「波動の法則」の反映であり、他者を変えようとするのではなく、まず自分自身が良い気分(ソースと繋がった状態)でいることが、調和した関係を引き寄せる鍵だと説きます。
- バシャールも、最も重要な関係は「自分自身との関係」であり、他者との関係はその反映であると語ります。また、人間関係の真の目的は、互いがより本当の自分になることをサポートし合うことにあると述べています。
- アシュタールは、社会的な常識やルールに縛られず、自分が本当にやりたいことを自由に選択し表現することが「本来の自由」であると強調しており、これは愛の表現における自由とも繋がります。
これらのソースに共通するのは、人間関係の問題を解決する鍵は、相手をコントロールすることではなく、まず自分自身の内面(波動、信念、自己との関係)を整えることにあるという視点、そして、愛や関係性における個人の自由な選択を尊重する姿勢です。
神との友情、そして究極の一体感へ

『神との対話』シリーズを読み進める中で、多くの読者が体験するのは、遠い存在、あるいは畏敬すべき絶対者として捉えていた「神」との距離が、驚くほど縮まっていく感覚ではないでしょうか。
第3巻に至る頃には、その感覚はさらに深まり、まるで長年の親友と語り合うような親密さ、そしてついには自分自身と分かちがたい「一体感」へと昇華していきます。
対話が育む親密さ:神は最高の友人
当初、神への問いは恐る恐る発せられたかもしれません。
しかし、対話を重ねる中で、神が決して私たちを断罪せず、常に理解と愛をもって応えてくれる存在であることが明らかになります。
その応答は時にユーモラスで、時に核心を突く鋭さを見せながらも、常に私たちの成長を願う温かさに満ちています。
それはまるで、最初は雲の上に聳え立つ、近づきがたい山の頂のように感じられた存在が、対話という登山道を一歩一歩進むうちに、共に汗を流し、励まし合い、頂からの絶景を分かち合う信頼できる登山のパートナー、最高の友人へと変わっていくようなプロセスではないでしょうか?
神は、私たちの最も深い部分を理解し、どんな時も変わらぬ愛で包んでくれる、究極の友人なのです。
分離の幻想を超えて:「ひとつである」という体験
そして、この神との友情が深まるにつれて、私たちは第3巻の最も重要な結論、「私たちはすべてひとつである」という究極の真実へと導かれます。
これまで自分と他者、自分と世界、そして自分と神を隔てていた壁が、幻想であったことに気づきます。
私たちは、大海原に浮かぶ個々の波ではなく、波という形を取りながらも、広大な海そのものであることに気づくのです。
孤独感や分離感は溶け去り、代わりに宇宙全体、森羅万象との深いつながり、安心感、そして言葉を超えた一体感が訪れます。
この一体感こそ、私たちが魂のレベルで常に探し求めてきた故郷なのかもしれません。
日常に「一体感」を育むヒント
この究極の一体感を、特別な体験としてだけでなく、日々の生活の中で育んでいくために、『神との対話』はいくつかのシンプルなヒントを与えてくれます。
- 観察すること:
良い悪いの判断を手放し、ただ「ありのまま」を見つめる練習をします。人や状況を評価する代わりに、その存在の完璧性を認めます。 - 感謝すること:
今ここにあるもの、出会う人、体験する出来事すべてに意識的に感謝の気持ちを向けます。感謝は、私たちをソース(神)の波動に最も近づけてくれます。 - 瞑想すること:
静かな時間を取り、思考のノイズを鎮め、内なる静寂に耳を澄ませます。そこから聞こえてくる声は、神の声であり、あなた自身の魂の声です。 - 呼吸すること:
呼吸は単なる生理現象ではなく、生命エネルギー、神の愛そのものを取り込む行為です。
深く、ゆったりとした呼吸を意識することで、私たちは宇宙のエネルギーと直接繋がることができます。 - 「ただ在る」こと:
何かを「する」ことに追われるのではなく、ただ「在る」ことに意識を向けます。
今この瞬間の存在を味わうことが、神との一体感に繋がります。 - 分かち合うこと:
持っているものを惜しみなく分かち合います。
他者に与えることは、自分自身に与えることであり、「私たちはひとつ」であることを最も具体的に体験する方法の一つです。
これらの実践は、特別なことではありません。日々の意識的な選択を通して、私たちは神との友情を深め、究極の一体感へと近づいていくことができるのです。
まとめ:『神との対話 第3巻』から受け取るメッセージ

『神との対話 第3巻』は、私たちの視野を宇宙へと広げ、深遠な智恵とインスピレーションを与えてくれます。この対話が私たちに伝える核心的なメッセージを、最後に簡潔にまとめます。
1. 宇宙的視点を持つ:
この本は、日常の出来事を魂の進化や宇宙の大きな流れの一部として捉える「宇宙的な視点」を授けてくれます。これにより、些細な問題への執着から解放され、より大きな目的意識と平安を得ることができます。
2. 内なる神性に目覚め、創造する:
私たちは無力ではなく、神と共に現実を創造する力を持つ共同創造者です。この内なる神性を思い出し、思考、感情、行動を意識的に選択することで、望む人生と世界を自ら創り出すことが可能です。
3. 希望を持って新しい文化を築く:
現代の課題に対し、「私たちはひとつ」「充分にある」という新しい認識に基づき、希望を持って行動することが求められています。あなた自身の意識の変容が、より良い世界を創造する力となります。
4. 神との対話は永遠に続く:
本は閉じられても、あなたと神との対話、内なる探求は終わりません。『神との対話』三部作はその旅の羅針盤です。あなたは愛され、導かれている神聖な創造主であることを忘れずに。最高の自分自身として、神との友情と一体感の中で、素晴らしい人生を創造していきましょう。
このブログを読んで、詳しい内容が気になったら是非『神との対話』を読んでみてください。↓